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中国輸入からのメルカリ販売始めました^ ^
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資金5万からの中国輸入を始めました(O_O)
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なかなか上手くはいけてませんが、これから徐々に利益が膨らみます。
その過程や戦略を少しずつ上げて行こうと思います。
ゴールデンウィーク
ゴールデンウィーク、ゴールデンウイーク(和製英語: Golden Week, GW)とは、日本では毎年4月末から5月初めにかけての休日が多い期間のこと。大型連休(おおがたれんきゅう)、黄金週間(おうごんしゅうかん)[1]ともいう。
概要
本来は5月3日から5月5日までの3日間を指すが、一般的には4月29日から5月5日までとされる。また直前・直後に土曜日・日曜日・振替休日がある場合、それらを含めて呼ぶことが多い。この場合は、その直前・直後の土日との間に挟まれる平日の日数が、一般的な平日の連続日数である5日の半数未満の場合つまり2日以内の場合はその土日もゴールデンウィークに含まれるが、半数を超える場合つまり3日以上平日が挟まれる場合はその土日はゴールデンウィークには含めない。この期間、4月29日(昭和の日、1988年(昭和63年)までは天皇誕生日、2006年(平成18年)まではみどりの日)・5月3日(憲法記念日)・5月4日(みどりの日、1988年(昭和63年)から2006年(平成18年)までは日曜日・月曜日以外なら国民の休日)・5月5日(こどもの日)が国民の祝日(2006年〈平成18年〉までの5月4日を除く)であり、5月1日がメーデーのため休日になる会社(人)も少なくないことから、間の平日を休みにすることで長期連休にしやすい。
以前は休日が飛び飛びになることが多かったことから「飛石連休」という言い方がされたが[2]、1985年(昭和60年)の「国民の祝日に関する法律」(以下「祝日法」という。)の改正で5月4日が日曜日や振替休日でなくても「国民の休日」になってからは、この言い回しは少なくなった[3]。
2005年(平成17年)に行われた祝日法の改正により、休日の名称および振替休日の規定が変更されたため、憲法記念日やみどりの日が日曜日と重なった場合、「こどもの日」の翌日が振替休日になり、その分ゴールデンウィークが延びることとなり、5月4日が日曜日となる2008年(平成20年)に最初に適用され、振替休日が初めて月曜日以外の火曜日となった。続く2009年(平成21年)も振替休日が初めて水曜日となった。
「ゴールデンウィーク」の名称は、映画会社の大映が松竹と競作して1951年(昭和26年)に同時上映となった獅子文六原作の『自由学校』が大映創設以来(当時)最高の売上を記録[4]し、正月映画やお盆映画以上の興行成績を残したことで[5]、映画界でこの時期に多数の動員を生み出すことや活性化を目的として当時の大映常務取締役であった松山英夫によって作成された宣伝用語であり[5][6]、和製英語である。1952年(昭和27年) - 1953年(昭和28年)頃から一般にも使用されるようになり[6]、他の業界にも広まった。この時大映は続いて秋の文化の日を中心とした期間を「シルバーウィーク」と名付けたが、当時こちらは定着しなかった[5][6]。
週刊誌では、連休前に合併号の発行が一般的に行われているが、これは大型連休に合わせた営業施策というよりも、印刷所の連休に合わせているというのが実情である。
郵便物の配達業務は、2015年までは連休中の後半に1日程度、休日ではあるが全ての郵便物を配達する日を設けていた[7]が、2016年以降はこの扱いは行われなくなった[8]。特に2018年は、カレンダー通りに配達を休止し、連続4日間、速達・書留・荷物等をのぞく通常の郵便物が配達されないこととなった[9]。
不況時の場合、製造部門を持つ企業において、この期間を生産調整・在庫調整に充て、通常の休日に数日上乗せし、さらなる長期休業となる従業員も見受けられる[10]。
期間中は上空の寒気が入って大気の状態が不安定になりやすく、雷雨やひょうなどの激しい気象現象が発生しやすい。特に2012年(平成24年)5月6日は、茨城県つくば市で竜巻が発生し、人的被害を伴う大きな災害になった。
「ゴールデンウィーク」の表現を変更しているケース
NHKや一部の民放、新聞などは「ゴールデンウィーク」という言葉が映画業界用語だったことから、NHKで禁止されている業界の宣伝(放送法第83条(広告放送禁止規定)に抵触する)になることや、年配者に分かりづらいという理由などで、単なる「(春の)大型連休」という表現で統一している[6]。「ゴールデンウィーク」という言葉は保険その他の分野においては2004年(平成16年)に損害保険ジャパン(現:損害保険ジャパン日本興亜)が(第4824147号)、酒類においては2014年(平成26年)に宝ホールディングスが(第5713010号)商標登録している。この他にもNHKでは「ゴールデンウィーク」を用いない次のような理由を挙げている[6]。
「シルバーウィーク」についても、同様の表現差し替え(「(秋の)大型連休」)が行われている。
日本の旅行シーズン
ゴールデンウィークとの名称が用いられ始めた時代は、戦後テレビ普及前の日本映画の黄金期で映画館も多数存在しており、映画鑑賞、近場の百貨店での買い物、近郊の遊園地への行楽、周辺の行楽地へのハイキングといった日帰り旅行などが、この時期の一般的な過ごし方で、1970年代以前は普段の日曜日・祝日の過ごし方と大きな違いはなかった。しかし、その後の振替休日制度の導入や土曜休みの普及に伴って、次第にこの時期全体を利用した泊まりがけの旅行や帰省が増え、ついには海外旅行さえ一般的になった。
毎年ゴールデンウィークの序盤と終盤において、主要ターミナル駅・空港などでは多くの乗客が見られる。特にテレビ・新聞などのマスコミは、ターミナル駅や空港での子連れの乗客をよく取材するため、「ゴールデンウィークは家族連れの旅行が多い」というイメージが定着している。ただし親子連れでの海外旅行は、2004年(平成16年)以降極端に減少している。学校の児童・生徒における、この時期の複数回の宿泊を伴う旅行の一般化は、早くとも5月4日が「国民の休日」となった1980年代後半以降の時代で、その後2002年(平成14年)に公立学校で完全五日制が実施されたことによって定着したと考えられる。それ以前は春休みに行うことが一般的であった。
この時期を余暇として活用する場合、もっぱら静養・テレビ視聴・読書・家事などで自宅内で過ごし、余暇のためには戸外には向かわない人ももちろんいる。しかし一般的には、移動距離や日常生活圏から離れる時期の長短に差はあるものの、この時期を野外活動や旅行に活用する人が多く、かつ美術展・コンサートなどが盛んな秋季の祝日などと異なり、移動先では屋外活動を行う、というイメージが定着している。
日本人観光客の多いハワイなど海外の観光地では、ホテル・バス・レストランなど観光業に従事する人物の場合、日本に縁のない現地出身の人間であっても“Golden Week”で意味が通じるほど認知されている。
帰省や行楽などのために長距離を移動する人も多い。その数は、夏休み(特に旧盆時期)・年末年始と同程度に多いと一般的に考えられている。
このため、多くの場合、お盆・年末年始と共通する以下のような交通状況となり、そのためにそれらの期間に準じた制度が適用される。
- 主要な高速道路の一部区間に渋滞が発生。10 - 100 km以上にも及ぶ場合もある。
- 全席指定車の列車以外の新幹線や主要な特急列車・高速バスにおける混雑、列車の指定席特急券や航空券の入手の困難さ。
- 都市近郊を結ぶ快速列車では、行楽客の増加分で通勤ラッシュ時並みの混雑が発生することもある。とりわけJR東日本湘南新宿ラインの大宮 - 新宿 - 横浜間やJR西日本京都線・神戸線の京都 - 大阪 - 三ノ宮間は非常に混雑する。
その他、各地の観光地・繁華街の混雑、ホテルなどの宿泊代、国内外への割引航空券の値段、レンタカーの料金などにおける、旅行費用の高騰も見られる(ハイシーズン料金)。反面、多くの航空会社の国内線正規運賃はピーク期運賃とはならない。また路線バス・路面電車など近距離の交通機関の利用においては、逆にこの時期に割安な企画切符・料金が適用される例も多いなど、必ずしも他の時期に比べて割高ではない事例も存在する。他の繁忙期と異なり、青春18きっぷはこの時期に発売されない。これは、当初この商品が学生などの休業期間を見込んだものであり、この時期は春・夏・冬の休業期間とは異なり、本来その時期には当たらないという性格上のものからだった。しかし国鉄時代に初めて発売された「青春18のびのびきっぷ」は、有効期間がゴールデンウィークまであった。
ただし関西・中京の私鉄・地下鉄を中心に、旧盆期間中の平日は休日または土曜のダイヤで運転される事業者が多くなっているが、現在のところゴールデンウィーク中の平日は、原則として平日ダイヤで運転されている(官公庁、金融機関、証券市場、病院、中小企業などでは暦通りに業務が行われているほか、学校も一部の私立学校を除いては平常通り授業が行われていることも理由)。
秋の大型連休
祝日法の改正によって敬老の日がハッピーマンデー対象となったことにより、秋分の日と合わせての大型連休ができる可能性が生じており、2009年(平成21年)・2015年(平成27年)はこれに該当する。その後は、2026年がこれに当たると予測されている(秋分日の観測状況により変動することがあるため、正式な祝日は前年の2月第1平日付の官報で確定する。「暦要項」参照)。
体育の日を11月1日に、勤労感謝の日を11月5日に移すことによって11月3日の文化の日と併せて秋に大型連休を作る構想もあり、当時の与党内で検討されていた。
これらを「秋のゴールデンウィーク」あるいは「シルバーウィーク」と称することがある。
主なイベント
気候のいいこの時期には全国各地でイベントが開催される。有名なイベントの例。
- 有田陶器市
- 朝日レガッタ
- 小田原北條五代祭り
- くらやみ祭
- となみチューリップフェア
- 那覇ハーリー
- 浜松まつり
- 博多どんたく
- ひろしまフラワーフェスティバル
- 弘前さくらまつり
- マンモスフリーマーケット(この他、秋にも開催される)
この時期は北東北や道南などではソメイヨシノの時期にあたり、花見(観桜)の季節でもある。それらの地域では桜だけでなく梅や花桃の花も同時に咲くことが多い。それ以外の地域では多くの場合は桜が散った後となるが、代わりに藤・薔薇などの晩春の花の時期であり、新緑のシーズンでもある。
中国の黄金週
中国にも日本のゴールデンウィークに類似した名称の大型連休があり、中国語で「黄金周」(huángjīn zhōu)と呼ばれる。これは、中国政府が経済効果をねらって1999年10月1日から導入した制度である。なお、「周」は「週」の簡体字である。
中国の黄金週は2016年現在、年に2回設定されている。
いずれも、3日間の法定休日に2日間の振替休日を加え、さらに土日を連続させて7連休にしている。2日間の振替休日は、直前の土日をこの期間に振り替える。
2007年度までは「労働節(5月1日)から始まる1週間」も黄金週であったが、中国政府の意向で2008年度以降は3連休に短縮されている。ただし、2009年度は広東省のみ7連休が実施される。
問題点
この時期が「ゴールデンウィーク」と呼ばれ、その期間の祝日(休日)が普通の祝日・休日と異なる扱いをされることや、長期連休化していることについて、以下の問題点を挙げる人もいる。
- この時期の「祝日の意義」が顧みられなくなること。
- この時期の存在による、教育・勤労効率(生産性)の低下。一例として「五月病」[11]があり、今春に生活環境が大きく変化した者の中で、新しい生活や環境に適応できず、ゴールデンウイーク中に疲れが一気に噴き出す[12]、長い休みの影響で学校や職場への行く気を削ぐ[13]などの要因から、ゴールデンウイーク明け頃から理由不明確な体や心の不調に陥る症状が見受けられる場合がある[11][12]。
- この時期における行楽地・交通機関や祭り・イベント会場の過度の混雑。
これらの解消を目的として、2016年(平成28年)現在、連休時期を地方ごとに異なる時期に定め、休日を分散化する計画が検討されているが、国内でありながら地域によって平日と休日が異なることで、商取引や金融システムなどの経済活動や、遠方への単身赴任者が帰省しても現地では平日のために家族と一緒に過ごせない、などの問題が挙がっている[14]。
7連休化
5月1日、いわゆるメーデーの開催日を祝日にすることで4月30日と5月2日に「国民の休日」が適用され、4月29日から5月5日まで7連休となる。しかし、既にある勤労感謝の日と趣旨が重複する祝日を定める意義や、メーデー自体が歴史的経緯から社会主義的である問題もあり、実現には至っていない。前者を回避するために、勤労感謝の日自体を5月1日に移動させるという案もあるが、戦前に新嘗祭の日付を祝日にした経緯があるため、主に保守派から反対論がある。金融関係者からは長期連休によって金融市場が長期間開かれないことを問題視する意見もある。また、休日にすることによるメーデー集会の不参加化を恐れる労組の反対もバブル以降でており、集会自体の日程をずらす団体も出てきている。
メーデー実行委員会は1984年(昭和59年)と翌1985年(昭和60年)に中央メーデーでメーデーを祝日にしようという特別決議を採択している。1996年(平成8年)から施行されている海の日ともに、祝日化が1995年(平成7年)の第132回通常国会で議論された。
世界の少なくとも80以上の国でメーデーを祝日としている。中国、ベトナム、北朝鮮などの社会主義諸国、旧ソ連・東欧圏、ヨーロッパ大陸のほとんどの国、メキシコ以南のラテンアメリカ諸国の大陸部のうちパナマとスリナムを除くすべての国、ASEAN加盟国のうちインドネシアとブルネイを除くすべての国、台湾、イスラム諸国ではパキスタンやバングラデシュやチュニジア、祝日が少ないアフリカ諸国でも多く国が祝日としている。
しかし、その一方で、メーデーを祝日としていない国もある。OECD加盟国では、日本のほか、アメリカ合衆国、イギリス、オランダ、スイス、デンマーク、トルコ、大韓民国が該当する(ギリシャなどヨーロッパのいくつかの国では、5月1日は祝日となっているが、これは春の訪れを祝う伝統的な祭日としての性質が強い。メーデーの項参照)。
2019年
2019年4月30日を以って、明仁(今上天皇)が皇位を退き、皇太子徳仁親王に譲位することが2017年の皇室典範特例法の成立により決定している。新天皇の即位は「即位礼正殿の儀」として例年通り秋にするものの、即位及び改元当日の5月1日を祝日にするか検討が行われ、2018年の第197臨時国会にて、即位礼正殿の儀が行われる10月22日と共に2019年限りの祝日とする法律が成立。この結果、4月30日と5月2日が前述のとおり国民の休日になり、土日及び振替休日を含めると4月27日(土曜日)から5月6日(月曜日・振替休日)まで10日間の休日となる[15]。
地域別大型連休案
民主党政権時の2010年(平成22年)、国土交通省はゴールデンウィーク(春季)とシルバーウィーク(秋季)の連休を地域別に分散して設定する祝日法の改正案を計画していた。具体的には
- 「休日となる国民の祝日」の日数を増やさない
- 「ゴールデンウィークとハッピーマンデーにおける国民の祝日」については「記念日」としての意味と「休日」としての意味を分けて考える
- これらの「国民の祝日」は記念日と見なして従来の日に残しながら、祝日に代わる休日は5月と10月にそれぞれ地域別に分けて設定する
ゴールデンウィークは基本的に憲法記念日、みどりの日、こどもの日の3連休を一つのまとまり、シルバーウィークは基本的にハッピーマンデーの当該日である海の日、敬老の日、体育の日を従来の日に記念日と位置づけ、休日は文化・スポーツ・観光に適した時期を利用して、何れも次のようなパターンを計画している。
- それらの休日を月曜日から水曜日に振り分けることで、土日を含む5連休を各地区1週ずつ、全体で5週間確保する案(パターンA)
- 地域別に月曜から水曜、または水曜から金曜に振り分けて、土日(前者前週、後者当該週)を含めた5連休を全体で2週半確保する案(パターンB)
- この表では土曜日を起点日としているが、上表の場合、九州沖縄・中国四国は第1週目の土曜日から水曜日まで、近畿地方は第1週水曜日から第2週日曜日までの5連休という形になる。
ウメ
ウメ
ウメ(梅、学名:Prunus mume、英: Japanese apricot[1])は、バラ科サクラ属の落葉高木、またはその果実のこと。花芽はモモと異なり、一節につき1個となるため、モモに比べ、開花時の華やかな印象は薄い。毎年2月から4月に5枚の花弁のある1センチメートルから3センチメートルほどの花を葉に先立って咲かせる。花の色は白、またはピンクから赤。葉は互生で先がとがった卵形で、周囲が鋸歯状。樹木全体と花は主に鑑賞用、実は食用とされ、枝や樹皮は染色に使われる。
分類
梅には500種以上の品種があるといわれている。近縁のアンズ、スモモと複雑に交雑しているため、主に花梅について園芸上は諸説の分類がある。実梅も同じ種であるので同様に分類できるが[2]、実梅の分類は一般には用いられない[3]。梅は、野梅系、緋梅(紅梅[4])系、豊後系に大きく3系統に分類できる[5]。
果実
果実は、2センチメートルから3センチメートルのほぼ球形の核果で、実の片側に浅い溝がある。6月頃に黄色く熟す。七十二候の芒種末候には「梅子黄」(梅の実が黄ばんで熟す)とある。特定の地域のみで栽培される地方品種が多く、国内どこでも入手可能な品種は比較的限定される。また、品種によっては花粉が無かったり自家受粉しなかったりする品種もあり、その場合は開花時期が重なるように授粉用の品種も必要となる。
栄養・薬効と毒性
熟した果実をそのまま食べることもあるが、普通は熟し切っていない青梅を梅干しや梅酒などに加工して食用にされる。他に、梅酢、梅醤やジャムなどにして食用とする場合もある。また甘露梅やのし梅などの菓子や、梅肉煮などの料理にも用いられる。強い酸味が特徴であり、クエン酸をはじめとする有機酸などを多く含むので健康食品としても販売されている。果実から種を取り出すための専用器具も販売されている。 果実の中心にあり、果肉を食べた後に残る種核は、後述する菅原道真信仰との関連で「天神様」と呼ばれる。これは硬いが、食用にでき[8]、梅茶漬けにアクセントとして添えるといった利用法がある。
中国では紀元前から酸味料として用いられており、塩とともに最古の調味料だとされている。日本語でも使われるよい味加減や調整を意味する単語「塩梅(あんばい)」とは、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉である。また、話梅(広東語: ワームイ)と呼ばれる干して甘味を付けた梅が菓子として売られており、近年では日本にも広まっている。
さらに漢方薬の「烏梅(うばい)」は、藁や草を燃やす煙で真っ黒に燻したウメの実である。健胃、整腸、駆虫、止血、強心作用があるとされるほか、「グラム陽性菌、グラム陰性の腸内細菌、各種真菌に対し試験管内で顕著な抑制効果あり」との報告がある[9]。
なお、サッポロ飲料株式会社と近畿大学生物理工学部、和歌山県工業技術センターの共同研究で、梅の果実成分による疲労軽減効果が報告されている[10]。
6カ月の梅酒飲用で、HDLコレステロールが有意に増加し、動脈硬化指数が有意に低下し、血圧が低下傾向となり、血糖値は変化が認められなかった、との報告がある[11]。
毒性
青梅には青酸が含まれているので、「食べると死ぬ」という警告が日本では広く知られている[12]。実際に、ウメや近縁のアンズのみならずモモなども含めてバラ科植物の葉や未熟な果実や種子には、青酸配糖体のアミグダリンやプルナシンが含まれている。これらの中でウメは青梅、つまり未熟なまま収穫されることが多い。未熟な果実や種子に含まれたアミグダリンやプルナシンを摂取すると、胃酸により有毒性を発揮する恐れがある他、腸内細菌が持つ酵素の作用によってもシアンが生成することがある。このため青梅をヒトが多量に食べた場合は、痙攣や呼吸困難、さらには、麻痺状態になって死亡するといわれている。
ただし、胃酸や胃の消化酵素だけでは、シアンの生成は起こらない。中毒の危険は、大量の未熟な種子を噛み砕いて、その酵素を併せて摂取した特殊なケース(アンズの種子を大量に食べたことによる重症例がある)に限られる。よって、幼児などが青梅の果肉を囓った程度では、ほぼ心配ないとされている。また、梅酒の青い実や梅干しの種の中身などは、アルコールや塩分、天日干しの熱により酵素が失活し、毒性は低下している。
これらとは別に、過敏症、アレルギーの症状が、複数報告されている[9]。
日本における作付けと収穫
農林水産省が2014年11月25日に公表した統計によると、
- 全国結果樹面積:16,200ha
- 全国の収穫量:111,400t
- 和歌山県:71,400t
- 群馬県:5,400t
- 奈良県:2,750t
- 長野県:2,190t
- 三重県:1,870t
- 福井県:1,860t
- 山梨県:1,860t
- 神奈川県:1,840t
- 宮城県:1,590t
- 福岡県:1,390t
- 南高の栽培面積:5,633ha
- 白加賀の栽培面積:2,307ha
- 竜峡小梅の栽培面積:511ha
- 小粒南高の栽培面積:393ha
- 豊後の栽培面積:361ha
- 鴬宿の栽培面積:359ha
- 日本の主な産地(作況調査(果樹)各年度版ならびに市町村別データ長期累年一覧による)
日本国内では和歌山県で国内総収穫量の6割以上を占める寡占状態が続いているが、ウメの産地は全国に分布している。作況調査(2014年版)では、14県が年間生産量が1000トン以上、また北海道と沖縄県以外は全都府県とも100トン以上となっている。
- 青森県 - 収穫量国内上位。最北端の産地。
- 宮城県 - 収穫量国内上位。
- 神奈川県 - 収穫量国内上位。古くから小田原は梅の産地として知られ、曽我梅林は梅採取用の農林にもなっている。
- 山梨県 - 竜峡小梅の栽培が盛ん。
- 長野県 - 収穫量国内上位。竜峡小梅の栽培が盛ん。
- 三重県 - 収穫量国内上位。かつて梅栽培はそれほど盛んではなかったが、1990年代後半からミカンからの転作作物として、温暖多雨で梅栽培に適していた東紀州地方を中心に広まった。隔年統計の県では最も収穫量が多く、梅栽培の先駆的地域である和歌山県や奈良県からの入植者もいるなど、地の利を生かしている[15]。
- [和歌山県 - 収穫量国内1位。「紀州南高梅」として高いブランド力を持ち、国内全収穫量の65%を占める[17][信頼性要検証]。また、主要産地のみなべ町と田辺市で県内生産量の7割強を占める[18]。みなべ町では「紀州みなべの南高梅」を、印南町、みなべ町、田辺市と西牟婁郡(白浜町日置川地区、上富田町など)では「紀州梅干」を地域団体商標に登録している。その他、紀北の紀の川市やかつらぎ町、田辺市龍神村地区などでも梅作りが行われるなど産地は県全域に分布する。主な品種は「南高」で、稀少品種ながら梅酒用の需要が高い「古城」も特産品として知られる。
- 福岡県 - 収穫量国内上位。
- 病害虫 - プラムポックスウイルス
主な品種
大梅・中梅
- 南高梅(なんこううめ)
- パープル南高(ぱーぷるなんこう)
- 加賀地蔵(かがじぞう)
- NK14(えぬけーじゅうよん)
- ミスなでしこ(みすなでしこ)
- 八郎(はちろう)
- 星高(せいこう)
小梅
- 竜峡小梅(りゅうきょうこうめ)
- 甲州最小(こうしゅうさいしょう)
- 織姫(おりひめ)
- 白王(はくおう)
- 衣笠(きぬがさ)
- パープルクィーン(ぱーぷるくいーん)
花梅
スモモウメ
染色への利用
枝や樹皮、樹皮に付くウメノキゴケは、煮出すなどして布を染めるのに使われる。この梅染の起源は飛鳥時代に遡ると考えられ、加賀友禅の源流になった[30]。月ヶ瀬梅林がある奈良市月ヶ瀬地区では、烏梅と紅花を組み合わせた染色が行われている[31]。
日本における梅の文化
別名に好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある。
花を扱う歌は以下である[32]。そしてウメは古里(ふるさと=奈良平城京)の静かな美しさと文化的郷愁の花となり[33]、和歌や能に取り上げられることになる[34]。
天文14年(1545年)4月17日に後奈良天皇が、京都の賀茂神社に梅を奉納したと『御湯殿上日記』にあることに因み、「紀州梅の会」が新暦の6月6日を梅の日に定めている[35][36]。また、古来より梅の名所として「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林(兵庫県神戸市東灘区岡本)は、起源は明確ではないが山本梅崖の『岡本梅林記』に羽柴秀吉の来訪が記されており、寛政10年(1798年)には摂津名所図会に岡本梅林の図が登場するほどの名所であった[37][38]。
平安時代の政治家・碩学であった菅原道真は梅をこよなく愛した。道真は死後に天満大自在天神(天神)として神格化され、梅はそのシンボルとみなされて、飛梅伝説(後述)などを生んだ。このほか、江戸時代の禅僧で禅画を多く描いた白隠の代表作の一つ「渡唐天神図」には、「唐衣(からころも)おらで北野の神ぞとは そでに持ちたる梅にても知れ」(意訳:これが天衣無縫の唐衣を着た北野天満宮の神であることを、彼が袖に持っている梅によっても知りなさい)の賛が残されている(古くは『菅神入宋授衣記』にほぼ同様の和歌が記載されている)[39]。ところで日本では申年はウメが不作になることが多いと言われてきた[40]。この申年のウメを使って平安時代の村上天皇は疫病を退けたとの言い伝えがある[41]。
俳句では梅は春の季語である[42]が、「早梅」「寒梅」や「探梅(たんばい、うめさぐる)」は冬の季語[43][44]。
語源
「ウメ」の語源には諸説ある。一つは中国語の「梅」(マイあるいはメイ)[45]の転という説で、伝来当時の日本人は、鼻音の前に軽い鼻音を重ねていた(東北方言などにその名残りがある)ため、me を /mme/(ンメ)のように発音していた。馬を(ンマ)と発音していたのと同じ。これが「ムメ」のように表記され、さらに読まれることで /mume/ となり /ume/ へと転訛した、というものである。上記のように「ンメ」のように発音する方言もまた残っている。
家紋
梅紋(うめもん)は、ウメの花を図案化した日本の家紋である。その一種で「梅鉢(うめばち)」と呼ばれるものは、中心から放射線状に配置した花弁が太鼓の撥に似ていることに由来している。奈良時代に文様として用いられ始め、菅原道真が梅の花を好んだことにより天満宮の神紋として用いられ始めたと考えられている。
使用
「梅」は、太宰府天満宮、「星梅鉢」は北野天満宮が用いている。武家では、菅原氏の末裔や美濃斉藤氏の一族が菅原天神信仰に基づいて用いた。おもに、加賀前田氏の「加賀梅鉢」や相良氏の「相良梅鉢」などがある。また、天理教の紋が「梅鉢紋」であるのは、教祖・中山みきの中山家の家紋に由来する。
図案
図案は、「梅(うめ)」、「梅鉢(うめばち)」、「捻じ梅(ねじうめ)」、「実梅鉢(みうめばち)」などがある。「匂い梅(においうめ)」や「向う梅(むこううめ)」などの写実的な図案の梅花紋と、「梅鉢」などの簡略的な図案の梅鉢紋に大別される。
梅にまつわる言葉
- 「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」
- 「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
- 「桃栗三年、柿八年、柚(ゆず)の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」
- 「梅の木学問」
- 「梅と桜」
- 「梅に鶯」
- 「梅の木分限」
- 「梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる」
- 「塩梅」(あんばい、えんばい)
この他、ウメとは直接関係ないが、音が「埋め」と同じであるために田を埋めた場所である埋め田を「梅田」という漢字に変えるといったことが行われてきた。
梅を題材とした文学
日本の梅の名所
- 全国の天満宮 - 梅がシンボルになっている。
北海道・東北・関東地方
- 三笠あすか梅の杜(北海道三笠市)- 北海道最大の梅園であり、約10,000本が植栽されている。
- 平岡公園(北海道札幌市清田区)- 広さ6.5ヘクタールの敷地に約1,200本の梅がある。紅梅種と白梅種との比率は約6:4。
- 狩勝高原梅園(北海道新得町)- 標高が約600mと高く冷涼な場所にもかかわらず、約1,000本の豊後梅がある[54]。
- 梅の里(福島県郡山市)- 約12,000本もの梅がある農地。
- 偕楽園(茨城県水戸市)- 約3,000本の梅がある日本庭園。日本三名園の一つ、また関東三大梅林の一つ。
- 筑波山梅林(茨城県つくば市)- 約1,000本の梅がある、日本百名山の一つ。
- 吉野梅郷(東京都青梅市)- 前述のプラムポックスウイルスに対する防疫対策として伐採された後、再生に取り組んでいる[55]。
- 府中市郷土の森梅園(東京都府中市) - 広さ17ヘクタールの敷地内に、約60種、1,100本の梅がある。
- ぐんま三大梅林(群馬県)- 安中市の秋間梅林(50ha、3.5万本)、高崎市の榛名梅林(400ha、12万本)・箕郷梅林(300ha、10万本)がある[56]。
- 越生梅林(埼玉県越生町)- 関東三大梅林の一つ。
- 越谷梅林公園(埼玉県越谷市)- 果樹栽培が盛んだった土地を公園化し、約40種・300本前後の植栽がある。
- 田浦梅林(神奈川県横須賀市)- 三浦半島随一のウメの名所。約2,700本が植えられている。
- 曽我梅林(神奈川県小田原市)
- 湯河原梅林(神奈川県湯河原町)幕山公園内にあり4,000本の梅が幕山の山肌に咲く姿を広場から一望できる。
中部地方
- 不老園(山梨県甲府市)- 甲府盆地随一の梅園。20数種、約3,200本が植えられている。
- 熱海梅園(静岡県熱海市)- 関東三大梅林の一つ。
- 岩本山公園(静岡県富士市)- 400本程度しかないが、富士山との撮影ポイントとして有名。
- 佐布里池梅林 (愛知県知多市) - 25種類、約4,900本。佐布里緑と花のふれあい公園。
- 県営大高緑地(愛知県名古屋市緑区)- 約400本
- 岐阜市梅林公園(岐阜県岐阜市)- 約1,300本
- 安八百梅園(岐阜県安八町)- 約1,200本
- 南部丘陵公園(三重県四日市市)- 約3,000本
- かざはやの里(三重県津市)[57] - 伊勢温泉ゴルフクラブの中に500本。
- 三方五湖(福井県三方町)- 梅丈岳の麓三方五湖湖畔の梅林(農園)。
近畿地方
- 京都御苑(京都御所、京都市中京区)- 京都市内の梅の名所。
- 青谷梅林(京都府城陽市)- 約10,000本の梅がある。広さ20ヘクタール、鎌倉時代からの歴史がある。
- 大阪城公園(大阪市)- 大阪城公園内。1.7ヘクタールの広さに約1,270本。大阪市の都市公園事業。無料回遊梅林(果実は使用農薬の品種から採取不許可)。大阪府立北野高校開校100周年事業より。
- 月ヶ瀬梅林(奈良県奈良市)- 名勝。旧・添上郡月ヶ瀬村の梅林。約13,000本の梅がある。樹齢600年の古木が存在。
- 追分梅林(奈良市中町追分)広さ10ヘクタール6,000本。追分本陣跡近く。
- 賀名生梅林(奈良県五條市)- 南北朝時代の和歌にも詠まれる、約20,000本の梅林。
- 綾部山梅林・室津(兵庫県たつの市)- 瀬戸内海を「ひとめ2万本」と称される。
- 岡本梅林公園(兵庫県神戸市東灘区岡本)- 江戸時代に「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われたという。面積は4,566平方メートルと狭いが、37種153本の梅が揃う。
- 南部梅林(和歌山県みなべ町)-「一目100万本、香り十里」と称される南高梅の梅林。
- 岩代大梅林(和歌山県みなべ町)- 広さ30ヘクタール、梅木20,000本の南高梅の梅林。
- 千里梅林(和歌山県みなべ町)- 熊野古道の千里の浜を見下ろす丘にある約6,000本の南高梅の梅林。
- 紀州田辺梅林(和歌山県田辺市)- 300,000本の梅木、大蛇峰山麓にある。
四国・九州地方
- 阿川梅の里(徳島県名西郡神山町)- 30ヘクタールの敷地に16,000本の鶯宿梅の梅林。
- 牛尾梅林(佐賀県小城市)- 広さ22ヘクタールの面積に約13,000本の梅林。由来は不明だが江戸末期から梅の名所として知られる。
- 伊万里梅園(佐賀県伊万里市)- 栽培用。25ヘクタールに6,500本。1993年栽培開始と歴史は浅い。
その他、長浜盆梅展(滋賀県長浜市)、平城京旧跡(奈良県)。大野下水処理場(大阪市西淀川区)枚岡神社(東大阪市)
サクラ
サクラ
サクラ(桜)は、バラ科モモ亜科スモモ属(サクラ属)[1](Prunus, Cerasus ,Japanese cherry , Sakura) の落葉樹の総称。
サクラは日本文化に馴染みの深い植物である(#日本人とサクラ)。また、日本において観賞用として植えられているサクラの多くはソメイヨシノという品種である。英語では桜の花のことをCherry blossomと呼ぶのが一般的であるが、日本文化の影響から、sakuraと呼ばれることも多くなってきている。
現在、ヨーロッパ・西シベリア・日本・中国・米国・カナダ[2]など、主に北半球の温帯に、広範囲に分布している[3][4]。
サクラの果実はサクランボまたはチェリーと呼ばれ、世界中で広く食用とされる。
概要
サクラは、バラ科スモモ属サクラ亜属に分類される落葉広葉樹である。春に白色や淡紅色から濃紅色の花を咲かせる(桜色)。花は日本では鑑賞用途としては他の植物に比べ、特別な地位にある。果実を食用とするほか、花や葉の塩漬けも食品などに利用される。
園芸品種が多く、花弁の数や色、花のつけかたなどを改良しようと、日本ではフゲンゾウ等の例にみられるように浅くとも室町時代から多くの園芸品種が作られた。日本では固有種を含んだ10類の基本の野生種を基に[5][6]、これらの変種を合わせて100種以上の自生種があり、さらにこれらから育成された園芸品種が200種以上あり[7]、分類によっては600種ともいわれる品種が確認されている[8]。なおこのうち100品種余りは北海道松前町由来の桜を掛け合わせるなどして多品種を作出した浅利政俊が作出したものである[9][10]。また、これら多品種のサクラのうち江戸末期に出現したソメイヨシノ(染井吉野)は、明治以降、日本全国各地に広まり、サクラの中で最も多く植えられた園芸品種となった。
日本では平安時代の国風文化の影響以降、桜は花の代名詞のようになり、春の花の中でも特別な位置を占めるようになった。桜の花の下の宴会の花見は風物詩である。各地に桜の名所があり、有名な一本桜も数多く存在する。サクラの開花時期は関東以西の平地では3月下旬から4月半ば頃が多く、日本の年度は4月始まりであることや、学校に多くの場合サクラが植えられていることから、人生の転機を彩る花にもなっている。
分類
スモモ属 Prunus は約400種からなるが、主に果実の特徴から5から7の亜属に分類される。サクラ亜属 subg. Cerasus はその一つである。これらの亜属を属とする説もあり、その場合、サクラ亜属はサクラ属 Cerasus となる。
サクラ亜属は節に分かれ、それらは非公式な8群に分かれる[要出典]。
- サクラ節 sect. Cargentiella (sect. Pseudocerasus)
- ミザクラ節 sect. Cerasus
- ミザクラ群 - セイヨウミザクラ など
- ミヤマザクラ節 sect. Phyllomahaleb
- ロボペタルム節 sect. Lobopetalum
- カラミザクラ群 - カラミザクラ など
サクラ亜属で日本に自生するものとしては5から7種類ほどが認められており、これらの変性や交雑などから数十種類の自生種が存在する。
サクラ属であり、やはり名前に「サクラ」と付くイヌザクラ、ウワミズザクラなどはウワミズザクラ亜属 subg. Padus(もしくはウワミズザクラ属 Padus)であり、サクラ亜属ではない。
かつてはニワザクラ、ユスラウメなどを含むユスラウメ節 sect. Microcerasus もサクラ亜属とされたが、Krüssmann (1978) によりニワウメ亜属 subg. Lithocerasus に分離された。分子系統からは、ニワウメ亜属はサクラ亜属とは別系統であり、しかもスモモ亜属/モモ亜属Prunus/Amygdalus alliance 内に分散した多系統という結果が出ている[11]。ただし、サクラ亜属をサクラ節 sect. Cerasus(通常のサクラ亜属)とニワウメ節 sect. Lithocerasus(ニワウメ亜属とウワミズザクラ亜属?)に分ける資料もある[12]。
突然変異と品種改良
サクラは突然変異が多い植物として知られており、花弁や雄蕊の変化、花の大きさ、色の変化、実の増減などが多分に見られる。品種改良も多く行われ、また変化させるだけでなく、代を重ねることや接木によって、突然変異を固定化することも行われる。一方で、自家不和合性を持つものも多いため一代限りの突然変異も稀ではない。自家不和合性を持つ場合、次の代には同じ特徴が受け継がれないことが多いためである。
日本では主に花を変化させるために多くの努力が払われたのに対し、西欧では実をより有用な食品にするため、実を大きく、収穫量が多くなるような品種改良が行われてきた。花が多かったり八重で豪勢であるなどの見栄えのよいものや花の変わったものに限らず、虫害への強さ、樹形、木の高さ、寒さや暖かさへの強さなども考慮された園芸品種が存在し、作られている。
桜の花は日本人に非常に親しまれ、多くの園芸品種が作られてきた。エドヒガンやヤマザクラ、オオシマザクラなどは比較的に変性を起こしやすい種であり、園芸技術の発達に伴ってこれらを用いた品種改良が多く行われた。ソメイヨシノは代表的である。のみならず、野生種、自生種だけで100種程度のサクラが存在し、各々の野生、自生種の特徴を継がせながらの配合も行われている。現在、固有種・交配種を含め600種以上の品種が存在するとされる[8]。園芸種をサトザクラとまとめて分類することもある。
遺伝子情報
既に植えられている株の品種を、観察から正確に同定するのは難しいが、現代では遺伝子からたどることが可能となった。人間が作った園芸品種をまとめてサトザクラと呼ぶことがある。八重咲きの品種はヤエザクラと総称される。
- Prunus lannesiana
- Prunus lannesiana var. speciosa
- Prunus jamasakura
- Prunus sargentii
- Prunus verecunda
- Prunus ×sieboldii
- Prunus apetala var. pilosa
- Prunus incisa var. incisa
- Prunus ×parvifolia
- Prunus ×furuseana
- Prunus ×syodoi
- Prunus ×tajimensis
- Prunus ×subhirtella
- Prunus pendula
- Prunus ×sacra
- Prunus ×yedoensis
- Prunus (hybrids between two or more species)
- Prunus campanulata
- Prunus ×kanzakura
- Prunus ×introrsa
- Prunus ×miyoshii
- Prunus ×takenakae
- Prunus incisa var. kinkiensis
生態
日本では、ほぼ全土で何らかの種類が生育可能である。さまざまな自然環境に合わせて多様な種類が生まれており、日本においてもいくつかの固有種が見られる。たとえばソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは伊豆大島など、南部暖帯に自生する固有種とされる。日本では少なくとも数百万年前から自生しているとされ、鮮新世の地層とされる三朝層群からムカシヤマザクラの葉の化石が見つかっている[17]。
全てではないが、多くの種に共通して見られる特徴を挙げる。雌雄同株であり、中高木から低木程度の大きさである。若い樹皮は光沢がありカバノキにも似た水平方向の皮目が出来、この部分は細胞に隙間が生じて呼吸孔になっている。古くなると皮目が消えて表面から徐々に細かく風化していく。葉の形は楕円形であり、枝に互生し、葉の縁はぎざぎざ(鋸歯)になっている。葉に薄い細毛が生えるものも少なくない。葉は秋になると紅葉する。根は浅く水平に広がり、ここから新たな茎(ひこばえ)がしばしば生え、不定根も良く発生する。
サクラは木を傷つけるとそこから腐りやすい性質を持つ。昔は剪定した部分の消毒も難しかったため、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という諺もある。このため、花見の宴会でサクラの木を折る観光客の被害によってサクラが弱ってしまうこともある。しかし適切な剪定は可能である。本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。
古木として知られる桜も多い。日本三大桜がいずれも樹齢千年を超える老古木となっているほか、五大桜も古木が多く、内神代桜は樹齢が1800年を超えているとされる。それ以外にも有名で長寿の一本桜が多く存在する[18]。
花
花を観賞する園芸品種として好まれたため、さまざまな姿の花が見られる。花びらは五枚から百数十枚までさまざまであり、多くのものが白から桃色である。サクラに限らないが用語を挙げる。花弁が五枚までのものを一重、五枚から十枚のものを半八重、十枚以上の花弁をもつものを八重という。また、花弁が非常に多く、一枚一枚が細長い場合、菊咲きと称する。さらに萼、花弁、雄蕊の中にさらに萼、花弁、雄蕊のある二重構造のものも見られ、これは段咲きと呼ばれる。花弁の枚数の増え方には雄蕊が花弁に変化するものと、花弁や雄蕊そのものが倍数加する変化が見られる[19]。同じサクラ属のモモやウメは花柄が短く枝に付くように咲くが、サクラはこれらと違って長い花柄をもっており、枝から離れて咲く。
開花期間は、ソメイヨシノでは、満開から一週間程度で花が散る。またソメイヨシノはクローンであるために、株ごとのばらつきも小さく、一斉に咲く。しかし、ソメイヨシノが爆発的に植えられる以前の日本では、少しずつ別の株、別の種に移りながら、様々な桜が咲くというのが、普通の姿であった。温度や雨が散る散らないの原因になる。花が咲いた後に気温が下がる花冷えが起こると、花は長く持ち、花が盛りになった後に雨が降ると早く散る。
ソメイヨシノなどでよく知られている通り、葉が展開する前に花が咲くものも少なくない。花が散り頃に葉が混ざって生えた状態から初夏過ぎまでを葉桜と呼ぶ。
開花期は種により、また地域によるばらつきも大きい。日本においては1月、沖縄のカンヒザクラを皮切りに、カンザクラ、次いでヤマザクラ、ソメイヨシノ、ヤエザクラ、カスミザクラは5月上旬くらいまで花を咲かす。北海道ではさらに遅く咲くものもある。
サクラは花芽を作ると葉で休眠ホルモンを作り休眠する。一定の寒さに置かれることによって休眠が打破され、その後暖かくなり始めると開花を迎える。この工程は一般的には冬から春にかけて行われることが多いが、秋に何らかの影響で葉がなくなった場合休眠ホルモンが足りず、寒い日を2 - 3日経てその後小春日和になるとこの条件を満たしてしまい狂い咲きが起きる。
狂い咲きとは別に、春に加えて秋から冬にかけて花を咲かせる品種も存在する。たとえばジュウガツザクラやフユザクラなどである。
サクラが以前に比べ若干早く咲く現象も見られている。これには温暖化の影響が見られ、また、都市部で開花が早まることはヒートアイランド現象も少なからず影響している。また、九州では桜前線が、普通とは逆に南下する例も現れた。これは、冬が暖かすぎると休眠打破が起こりにくいため、暖かい九州南部では開花が遅れるのだと考えられる[20]。これらは季節学的な自然環境の変化を端的に表す指標にもなっている。
日本人とサクラ
日本においてはサクラは、関心の対象として特別な地位を占める花である。
歴史
桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされ、農業にとり昔から非常に大切なものであった[21]。また、桜の開花は、他の自然現象と並び、農業開始の指標とされた場合もあり、各地に「田植え桜」や「種まき桜」と呼ばれる木がある(あった)。これは桜の場合も多いが、「桜」と名がついていても桜以外の木の場合もある。
『万葉集』には色々な植物が登場するが、桜もその一つである。しかし、中国文化の影響が強かった奈良時代は和歌などで単に「花」といえば梅を指していた。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかった。その後平安時代に国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり、「花」とは桜を指すようになる。
古今和歌集仮名序にある王仁の歌とされる「難波津の咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の「花」は梅であるが、平安時代の歌人である紀友則の歌「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜である。嵯峨天皇は桜を愛し、花見を開いたとされており[22]、左近の桜は、元は梅であったとされるが桜が好きであった仁明天皇が在位期間中に梅が枯れた後に桜に植え替えたとされている[23]。
歌人の中でも特に平安末期の西行法師が、「花」すなわち桜を愛したことは有名である。彼は吉野の桜を多く歌にしており、特に「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌は有名である。西行はこの歌に詠んだ通り、旧暦二月十六日に入寂したとされる。
豊臣秀吉は醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に近親の者や諸大名を従えて盛大な花見を催したとされる(醍醐の花見)。
江戸時代には河川の整備に伴って、護岸と美観の維持のために柳や桜が植えられた[22]。また園芸品種の開発も大いに進み、さまざまな種類の花を見ることができるようになる。江戸末期までには300を超える品種が存在するようになった[19]。江戸末期に出現したソメイヨシノをはじめ、明治以降には加速度的に多くの場所に桜が植えられていった。
明治維新後に大名屋敷の荒廃や文明開化・西洋化の名の下に多くの庭園が取り潰されると同時に、そこに植えられていた数多くの品種の桜が切り倒され燃やされた。これを憂いた駒込の植木・庭園職人の高木孫右衛門は多くの園芸品種の枝を採取し自宅の庭で育てた。これに目を付けた江北地区戸長(後に江北村村長)の清水謙吾が村おこしとして荒川堤に多くの品種による桜並木を作り、これを嚆矢として多くの園芸品種が小石川植物園などに保存されることになり、その命脈を保った。
日本を象徴する花
桜では開花のみならず、散って行く儚さや潔さも、愛玩の対象となっている。古くから桜は、諸行無常といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿ははかない人生を投影する対象である[24]。
江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み、桜が「もののあはれ」などを基調とする日本人の精神の具体的な例えとみなした。
平安時代や明治以降では花のように散る人などの例えにされてきた。ただし、江戸時代はそのようにすぐに花が散ってしまう様は、家が長続きしないという想像を抱かせたため、桜を家紋とした武家は少なく、桜は未だに時代に根付いてなかったとされる。桜は日本精神の象徴のようなものとしての例えとして用いられているが、この喩えが使われた時期は大正後期からである。日本軍においても桜は好まれ、「歩兵の本領」や「同期の桜」などといった歌詞に「桜」「散る」という表現を反映した軍歌・戦時歌謡も多数作られ、太平洋戦争(大東亜戦争)末期には特攻兵器の名称にも使われている(桜花や桜弾機など)。いずれにせよ、桜は日本精神に根ざしており影響力を持っているため、国花の代表例とされることがある(正式には日本の国花は存在しない。ただし国花の代表例として桜と菊が使われることがある)。
人気
桜は春を象徴する花として日本人にはなじみが深く、春本番を告げる役割を果たす。桜の開花予報、開花速報はメディアを賑わすなど、話題・関心の対象としては他の植物を圧倒する。入学式を演出する春の花として多くの学校に植えられている。
各種調査によると日本人の大多数の人たちが桜を好んでいる[25][26][27]。九州から関東での平地では、桜が咲く時期は年度の変わり目に近く、桜の人気は様々な生活の変化の時期であることとも関係する。
桜の人気は平安時代に始まるが、宮中の桜に魅了された藤原定家は、夜間に宮中に忍びこんで庭の桜を持ち帰り、翌朝発覚し天皇から咎めを受けた。また、沙石集によると、一条天皇の中宮、彰子が奈良の興福寺の東円堂にあった八重桜の評判を聞き、皇居の庭に植え替えようと桜を荷車で運び出そうとしたところ、興福寺の僧が「命にかけても運ばせぬ」と行く手をさえぎった。彰子は、僧たちの桜を愛でる心に感じ入って断念し、毎年春に「花の守」を遣わし、宿直をして桜を守るよう命じたという。
利用
日本では国花が法定されておらず天皇や皇室の象徴する花は菊であるが、サクラは多くの公的機関でシンボルとして用いられており[28]、『事実上の国花』のような扱いを受けている[29][22]。旧日本軍(陸軍・海軍)が桜の意匠を徽章などに積極的に使用しており、これは自衛隊(陸自・海自・空自)でも同様である。
1967年(昭和42年)以降、百円硬貨の表は桜のデザインである。
全米桜祭りで知られるアメリカ合衆国のポトマック河畔の桜は日米友好のために東京市長の尾崎行雄が寄贈したものであり、この返礼として日本にはハナミズキが贈られている[30]。その他の国との間でも友好のために贈ることがある[31][32]。
開花予想
日本では桜の開花予想(「桜」と表すが、殆どの予想はソメイヨシノを取り上げている)、いわゆる「桜前線」や、開花や満開の宣言が春に話題となる。開花予想は気象庁が1951年(昭和26年)に関東地方を対象に行ったのを初めとし、2009年(平成21年)まで行われた。2007年(平成19年)から独自の開花予想を行う民間の気象会社が出現し[33]、数社が予想を出すようになったため、2010年(平成22年)から気象庁は開花予想の業務を取り止めて民間に任せ、観測のみを行っている[34]。なお、桜の開花予想は気象業務法の定める予報業務ではなく、許可は要しない[35]。
気象庁では、桜の開花や満開を生物季節現象の1つとして、各地で特定の株を標本木として定めて職員の目視による観測を行っている[36]。標本木は南西諸島や北海道の大部分を除いてソメイヨシノであり[36]、東京都など一部を除いて地方気象台の近隣に存在する。標本木の蕾が5輪から6輪ほころびると、「開花」したと発表される[36]。これをマスコミでは「開花宣言」と呼ぶことがある。標本木全体の80%以上のつぼみが開くと、「満開」と発表される[36]。
2009年まで気象庁が行っていた予想方法は、各地点の冬期の気温経過や春期の気温予想等を考慮した各種計算を経て、標本木に対して開花予想日を決定していた。民間気象会社の予想方法も概ねこれに近いが、独自の手法を採り入れて行っているものもある。
気象庁が定める東京のサクラの標本木は、靖国神社境内にある特定のソメイヨシノである。本来標本木がどれであるかは非公開となっているが、東京の標本木については2012年にどの木が標本であるかを公開している。現代日本においてサクラの開花については特に衆目を集める傾向にあり、開花の時期になると、東京管区気象台の職員が観測する風景を、複数のマスコミが取材に訪れる様子がしばしば見られる。
樹木全体から見た開花具合によって咲き始め、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、散り始めなどと刻一刻と報道される。このように木々の様子を逐一報道することは、世界から見ても珍しい例である。
桜と日本文化
桜は春の象徴、花の代名詞として和歌、俳句をはじめ文学全般において非常によく使われており、現代でも多くの音楽、文化作品が生み出されている。
伝統文化的作品の例では桜を人に見立てた能の西行桜などがある。江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉は、1688年(貞享5年)春、かつて奉公した頃のことなどを思って「さまざまの事おもひ出す桜哉」と句を詠んだ。俳句では単に「花」といえばサクラのことを指し春の季語であり、秋の月、冬の雪とともに「三大季語(「雪月花)」である。「花盛り」「花吹雪」「花散る」「花筏」「花万朶」「花明かり」「花篝」の「花」は桜である。楽においては江戸時代の箏曲や、地歌をはじめとする三味線音楽に多く取り上げられている。一般に「日本古謡」とされる『さくらさくら』は、実は幕末頃に箏の手ほどきとして作られたものである。明治時代以降では瀧廉太郎の歌曲『花』などが有名である。長唄『元禄花見踊』も明治以降の作であるがよく知られている。
戯曲では義経千本桜は本来その話の中には桜が登場しないにもかかわらず題名に桜を関しており、現在[いつ?]では桜を背景にする例も多い。
現在[いつ?]でもポピュラー音楽、映画、ドラマ、ゲームなど様々な作品のモチーフや題材になっている。特に春に発表されるポピュラー音楽では他に比べて桜を扱ったものが多く、これらの歌は桜ソングとして知られている。
用途
花・景観・イベント
日本では桜は花見や観桜など、景観等の人気が高く多くの場所に植えられている。植栽の場合街路樹、公園、庭木、河川敷等に使われることが多い。近年では、サクラは街路樹に用いられている樹種としてイチョウについで2番目に多く、49万本が植えられている[37][38]。道や線路・河川などに沿って植えられることが多く、このようなものを桜並木という。道などの両側に桜が並んでトンネルのような形状になっているものを桜のトンネル(桜トンネル)と呼ぶことがある[39][40]。このように、辺り一面が花景色になることも多い。また、学校の校庭には桜が植えられていることが多い。小学校などの校庭には、児童や生徒の入学時に桜の花が咲いているようにするため、ソメイヨシノに比べて開花期間が長い八重桜を混植することが多い[要出典]。また、古くから桜の花を育てている神社や寺も少なくない。しかし、害虫や病気など手入れが大変で、大きく育つためか、その人気の割には庭木にされることは少ない。
日本では、至る所で花見に使われる木として重要である。花見の習慣とともに、桜の名所も日本全国各地にある。また、神社や寺など桜を持っている団体や地域が「桜祭り」を開いている例も多い。夜の桜を楽しむために、桜のライトアップも各所で行われる。
食用
果実を食用とする品種の3系統は、概ね甘果桜桃(セイヨウミザクラ、Prunus avium)、酸果桜桃(スミノミザクラ、Prunus cerasus)と中国桜桃(カラミザクラ、Prunus pseudocerasus)に分けることができる。
六月から七月にかけて実をつけるオウトウ(サクラの一種)の果実を日本では一般的にサクランボと呼び、栽培されている多くがヨーロッパの甘果桜桃(セイヨウミザクラ)系である。品種としては、佐藤錦の他に、紅秀峰、豊錦、ナポレオン、アメリカンチェリー等が有名である。佐藤錦は、明治より山形県東根市の佐藤栄助によって品種改良され、岡田東作が名づけて世に広めたものである。酸味が強い酸果桜桃(スミノミザクラ)は料理に利用される。中国桜桃(カラミザクラ)は日本であまり栽培されていない。
桜漬けは、一般的に八重桜の花を梅酢と塩で漬けたものである。花(花弁)自体も塩漬けにすると独特のよい香りを放ち、和菓子・あんパンなどの香り付けに使われる他に、祝い事の席で桜湯として振舞われる。桜湯は、花の塩漬け2から3輪に湯を注いだものである。茶碗の中で花びらが開く過程から、祝い事に使われる。婚礼や見合いなどの席では「お茶を濁す」ことを嫌い、お茶を用いずに桜湯を用いることが多い。結納には両家の縁を結ぶという縁起を表し椀あたり2輪が用いられる。
桜の葉は、塩漬けにすることで加水分解酵素が芳香成分(クマリン)に変化しよい香りを放つ。桜葉漬けには多くの場合オオシマザクラが用いられており、伊豆半島南部において生産が盛んであり、シロップ漬けにされることもある。桜餅は、一般的な和菓子の一つであり、桜の葉の塩漬けで包まれた桜色の餅である。春にはこれらの風味を利用した食品なども見られる。
桜の樹液をトラガカントゴムの代わりに利用する例も存在する。
木材
木自体は材木として使われる。材としては硬く冷たい部類で、湿気には比較的強い。木目には乏しいが、節の周囲にはメイプルや栃に似た杢目が出ることもある。無垢テーブル板や比較的高級なフローリング材として使用される。彫刻にも用いられる。建築業界や家具業界において安価である樺を樺桜あるいは単に桜と称して一種として流通させることがある。これによる混同を避けるために本来の桜を地桜と呼ぶこともある。材としては樺と桜は全く別物である。
その他
桜の樹皮は水平方向にはがれ、その表面は灰色を帯びてつやがあって美しいため、小物入れや茶筒などの細工物(樺細工)や版木に利用される。
オオシマザクラは別名をタキギザクラともいい、この名前からも分かるように以前は燃料用として植樹されており、房総半島や伊豆大島にもこの用途で広がったとされる。
管理育成
剪定
桜は「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といわれるように、傷口が傷みやすい。実際、台風や人間により枝が折られるなどすると、傷口から腐って一気に枯れてしまうこともある。このため、しばしば剪定には不向きとされるが、適切な剪定は可能である[23]。
土壌
桜は水はけの良く、日当たりの良い場所を好み、根を浅く広く広げるため、土が固くない場所をより好む。また、毎年花を咲かせるためには多くの栄養を必要とするので、他の落葉樹と同じく、寒肥により花をより多く咲かせることができる。土壌が踏み固められていると根頭がんしゅ病やネコブセンチュウ病を誘発し、これらの病気は土壌を汚染する。早いうちであれば土壌改良によって病気を止めることができるが、これらで桜が枯れた場合、何度桜を植えても枯れる場合がある。このため、これらの病気に罹った土壌は加熱殺菌すること、石灰などで消毒すること、土そのものを入れ替えること、桜の枯れた後には数年の間樹木を植えないことなどで対策をとることができる。桜の周りをコンクリートやアスファルトなどで固めないことや、桜を離れた位置から眺めるようにすることで土を踏み固めることを避けることができる。
水遣り
桜は水はけの良い土壌を好むが、乾燥には強くない。夏場などは地面の乾燥に気をつけることが大切である。
病害虫
本来、特に自生種は病害にも害虫にもそれほど弱くはないが、人為的に集中して植えられている場合や人工的に作られた品種はこれらに弱くなる場合もある。病害虫は桜の密集地では互いに伝染し、集団発生する可能性がある。
桜が多く罹る病気としては根頭がんしゅ病、根瘤線虫病、てんぐ巣病、膏薬病、うどんこ病などがある。
根頭がんしゅ病、根瘤線虫病は根や根の付け根辺りで瘤が発生する病気である。根元の土が踏み固められていると促進される。病気に罹るとすぐ枯れるわけではないが徐々に樹勢が削がれ、桜が弱っていく。これらの病気は病変部位を切り取り、切り取った部分を殺菌し、表面を保護する塗布剤などで保護すること、土壌改良を行うことが有効である。対策を行えば少なくとも病気の進行は抑えられる。
てんぐ巣病は枝に発生し、枝が竹箒状になる病気である。この病変も徐々に桜が弱り、全ての枝に広がると手遅れになりかねない。発見したら、休眠期を待ち、消毒した鋏や鋸で病変部位を切り落とすことが望ましい。切り落とした後は癒合剤などで回復を促し、剪定した枝は焼却、鋏や鋸も切った後すぐに消毒することが必要である。消毒の行われていないはさみを使うとそれを元に移る可能性もあるので気をつけるべきである。菌が原因であるので風通しを良くすることも対策になる。
膏薬病やうどんこ病については水気が多い場所や湿気の多い場所、あるいは病害虫が引き起こす。胴の部分に菌が入ったりキノコができることによって病気になる。病害虫は菌が入るための傷口を作ったり、傷口を広げるのに加担することが多い。風通しを良くすることや水気がたまらないようにすること、病害虫を駆除することによって病気を抑えることができる。
桜によく付く害虫として、2012年(平成24年)以降に顕著な話題となっているのが外来種のクビアカツヤカミキリである。サクラに寄生する同カミキリの大量繁殖と食害の大きさから、各地でサクラ、特にソメイヨシノの大量伐倒に至っており、その被害の深刻さから、2018年1月に同カミキリが環境省より特定外来生物に指定された[41][42][43]。これを受けて埼玉県環境科学国際センターではサクラへ寄生するクビアカツヤカミキリ対策を広く公開している[44]。
他の害虫としてはカイガラムシ、アブラムシ、ハダニ、それにケムシ・イモムシの類ではハマキムシ、コスカシバ、オビカレハ、アメリカシロヒトリ、サクラケンモン、モンクロシャチホコ (w:Phalera flavescens) などが挙げられる。
環境
桜は街路樹として植えられることも多いことなどから、車などの排気ガスによって傷められることも多い。このような場合対策はとりづらいため、その他の要因で樹木が弱らないようにすることが大切である。山高神代桜では桜を守るために近くを通っていた道路に迂回路が作られた[45]。酸性雨も木を弱める要因になる。
花見客による被害
花見客などによる枝折り、火気、ごみの放置、むやみに根元を踏みつけるなどの行為は桜を傷めつける原因となる。
語源
「サクラ」の語は有史以前からあり、「語源」があるのかどうかも不明である。以下の説はよく知られる:
- 春に里にやってくる稲(サ)の神が憑依する座(クラ)である。これは天つ神のニニギと木花咲耶姫の婚姻の神話によるものが出どころ。
- 「咲く」に複数を意味する「ら」を加えたものとされ、元来は花の密生する植物全体を指した。
- 富士の頂から、花の種をまいて花を咲かせたとされる、「コノハナノサクヤビメ(木花之開耶姫)」の「さくや」をとった。
サクラを意味する漢字『櫻』は元はユスラウメを意味する文字だった[46]。『櫻』の字は「首飾りをつけた女性、もしくは首飾りそのもの」を意味する『嬰』に木偏を付けたものであり、ユスラウメの実が実っている様子を指した漢字である。日本にユスラウメが入ってきたのは江戸時代後期頃のため、日本では『櫻』の字はサクラに転用された。
「さくらの日」
春節
春節(しゅんせつ、簡体字: 春节 繁体字: 春節 拼音: Chūnjié チュンチエ 注音:ㄔㄨㄣㄐㄧㄝˊ)とは、中国・中華圏における旧暦(時憲暦)の正月(旧正月)である。中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国のみならずシンガポールや大韓民国など9か国では数日間の祝日が設定されている。
表現
春節は中国では過年とも表現され混同されているが、民間での習慣では過年は旧暦12月23日の祭竈(一部地方では12月8日の臘祭)から旧暦正月15日の元宵節までの期間を示すものである。
春節は正月初一を示す言葉であり、古代においては元旦と称されていた。元とは始まるの意味であり、旦とは日の出を示す象形であることから、元旦は最初に日が昇る一日、すなわち正月を示す言葉となった。
また春節は年、月、日の始まりであることから「三元」とも、それぞれの最初の朝であることから「三朝」とも称されることがある。
由来
古代中国では年末年初に臘祭を行い先祖や衆神への祭祀が行われ、合わせて豊作を祈念することが一般的に行われていた。
『書経』には舜が正月に臣下を率いて天を祭祀したことを記す[1]。伝説では正月がいつであるかは王朝によって異なり、夏代は夏暦の元月を正月としていたが、殷代になると夏暦の十二月を正月とされ、周代になると十一月を正月としたという。秦代になり十月を瑞月(始皇帝の名の政と同音の「正」を避諱して「瑞」に改めた)とした。前漢の武帝の代に行われた太初改暦の際に夏暦の元月を正月に定められ、それは清滅亡まで続いた。
清滅亡後に成立した中華民国では暦法に西洋諸国と同じグレゴリオ暦が採用され、1912年1月1日を民国元年1月1日とする暦法が採用された。その後の国共内戦を経て中華人民共和国が成立する直前の1949年9月27日、中国人民政治協商会議第一次全体会議において、新中国成立の際にはグレゴリオ暦を採用することが決定され、新暦の1月1日を元旦、旧暦の正月初一を春節とすることが決定され現在に至っている。
伝承
春節の来歴に関しては、万年という人物の伝承が民間に伝わっている。
勤労かつ善良な少年であった万年は、生活の中で樹木の陰影が時期により移動することや水滴の滴る様を見て、時間に対する規律性を発見した。当時の民衆は時間に対する規律性を知らなかったために、農業などで大きな不便を感じていた。万年はこれらの事象から四季を区別し、草暦を編み出した。草暦を知った天子はこれを賞賛し春を一年の最初とし、春節と名付けることを命じた。
その後、万年は不完全であった草暦を完全なものとするため研究を続け、老人になり更に正確な暦を作成。その功労として天子により、それは万年暦と命名され、万年は寿星に封じられた。人々は春節を迎えることを過年と表現し、家々では寿星図を準備して万年の功績を偲んだとされる[2]。
習慣
伝統的には、春節に先立つ行事として旧暦12月24日(23日とも)に大掃除をして、竈の神を祭る。
春節の前日を除夕と呼び、特別な食事を食べる。一般に鶏(「吉」と同音)や魚(「余」と同音で、「年年有余」を意味するとされる)を食べるとされるが、広大な中国の中では地方により正月料理も大きく異なる。北方では餃子が知られており、南方では一年が甘くなるようにとの願いを込めて糖蓮子(zh)や元宵、糖年糕を食べる習慣がある。
家の入り口には春聯や年画などを貼り、また窓などに剪紙(切り絵)を貼る。爆竹を盛大に鳴らすのは中華圏の春節の特徴である。芸能としては獅子舞が踊られる。
春節での習慣としては、起床後に年配者に対して長寿を祝う言葉を述べ、その後、近隣住民や知人と春節を祝う言葉を述べ合うものがある(拝年)。子供には赤い袋(紅包)にはいった圧歳銭(お年玉)を渡す。
家庭では春節用の衣装を用意し、新年の華やかさを演出するだけでなく、新年に幸運をもたらす意味を持たせている。
春節では家族の団欒が重んじられるため、春節前後は帰省者によって交通量が極端に増える。これを春運と呼ぶ。それとともに、春節の休暇期間を利用して観光旅行をする人々も多い。日本でも2010年代頃から中国人を中心に同時期の訪日観光客が増え、爆買いからインバウンド消費に貢献した。2月単月で1百万人を超え、航空券やホテル代などの高騰が見られた。
上記の拝年は近年、相手を直接訪ねるのでなく電話やインターネット(電子メールや微博など)で代用する人も多い。さらに企業が拝年と称してネット広告を配信したり、中国共産党の中央・地方指導者がテレビで挨拶を放映したりするようになっている[3]。
その他の習慣に関しては関連項目も参照のこと。
法律
正月前後が国民の休日となる国は、現在9か国ある。
中国では春節は国定祝日とされ、2008年1月に施行された新しい『労働契約法(労動合同法)』では春節から3日間を祝日と定めた。2015年からは除夕から始まる7日間を祝日としている。
一般に企業は春節の前後7日を長期休暇としており、その前後は都市部から地j r方に帰省する人々で、中国の公共機関は大混雑となる(春運)。
春節(初一)
21世紀
- 2000年2月5日
- 2001年1月24日
- 2002年2月12日
- 2003年2月1日
- 2004年1月22日
- 2005年2月9日
- 2006年1月29日
- 2007年2月18日(ベトナムは2月17日)
- 2008年2月7日
- 2009年1月26日
- 2010年2月14日
- 2011年2月3日
- 2012年1月23日
- 2013年2月10日
- 2014年1月31日
- 2015年2月19日
- 2016年2月8日
- 2017年1月28日
- 2018年2月16日
- 2019年2月5日
- 2020年1月25日
- 2021年2月12日
- 2022年2月1日
- 2023年1月22日
- 2024年2月10日
- 2025年1月29日
- 2026年2月17日
- 2027年2月6日(日本は2月7日)
- 2028年1月26日(日本は1月27日)
- 2029年2月13日
- 2030年2月3日(ベトナムは2月2日)
- 2031年1月23日
- 2032年2月11日
- 2033年1月31日
- 2034年2月19日(旧暦2033年問題)
- 2035年2月8日
- 2036年1月28日
- 2037年2月15日
- 2038年2月4日
- 2039年1月24日
- 2040年2月12日
- 2041年2月1日
- 2042年1月22日
- 2043年2月10日
- 2044年1月30日
- 2045年2月17日
- 2046年2月6日
- 2047年1月26日
- 2048年2月14日
- 2049年2月2日
- 2050年1月23日
- 2051年2月11日
- 2052年2月1日
- 2053年2月19日
- 2054年2月8日
- 2055年1月28日
- 2056年2月15日
- 2057年2月3日
- 2058年1月24日
- 2059年2月12日
- 2060年2月2日
- 2061年1月21日
- 2062年2月9日
- 2063年1月29日
- 2064年2月17日
- 2066年1月26日
- 2067年2月14日
- 2068年2月3日
- 2069年1月23日
- 2070年2月11日
- 2071年1月31日
- 2072年2月19日
- 2073年2月7日
- 2074年1月27日
- 2075年2月15日
- 2076年2月5日
- 2077年1月24日
- 2078年2月12日
- 2079年2月2日
- 2080年1月22日
- 2081年2月9日
- 2082年1月29日
- 2083年2月17日
- 2084年2月6日
- 2085年1月26日
- 2086年2月14日
- 2087年2月3日
- 2088年1月24日
- 2089年2月10日
- 2090年1月30日
- 2091年2月18日
- 2092年2月7日
- 2093年1月27日
- 2094年2月15日
- 2095年2月5日
- 2096年1月25日
- 2097年2月12日
- 2098年2月1日
- 2099年1月21日
22世紀
- 2100年2月9日
- 2101年1月29日
- 2102年2月17日
- 2103年2月7日
- 2104年1月28日
- 2105年2月15日
- 2106年2月4日
- 2107年1月24日
- 2108年2月12日
- 2109年1月31日
- 2110年2月19日
- 2111年2月8日
- 2112年1月29日
- 2113年2月16日
- 2114年2月6日
- 2115年1月26日
- 2116年2月14日
- 2117年2月2日
- 2118年1月22日
春
暦による期間
- 日本の年度での四半期ごとの区分では4月・5月・6月。英語ではこの3か月をspring quarterという。
- 気象学では3月・4月・5月。
- 天文学上は春分から夏至まで。ここでの「春分」「夏至」は、「春分の日」「夏至の日」ではなく太陽黄経が0°、90°になった瞬間。
- 二十四節気に基づく節切りでは立春から立夏の前日まで
- 旧暦による月切りでは1月・2月・3月。上に近いが、最大半月ずれる。
- JRグループの臨時列車運行上の区切りは、3 - 6月の4ヶ月間としている[1]。
- 西洋[2] (特に米国、ドイツなど)では一般的に春分の日から夏至の日までとすることがある。
気候による期間
三春
- 初春 (孟春)
- 仲春 (仲陽)
- 晩春 (季春)
春は、寒い冬から気温が上がり始め、朝晩はまだ肌寒さはあるが次第に日中は暖かくなる時期であり、秋と並んで一年の中では最も気候の良い穏やかな季節とも言われる。雪や氷が溶け、植物が芽を出す時期である。寒さが次第に緩み、草木が萌え芽ぐみ、花々がつぼみをつけ、満開になる。日が永くなり、地中の虫が動き始める。桜が散り、次第に木々の緑が濃さを増し、暑い日が増えてきて、終わる。
日本では毎年3月が年度替わりとされ、さまざまな区切りとなる(年によって若干異なるが、テレビ・ラジオにおいて改編、法律・制度が実施されたり、政令指定都市・中核市などに移行され、合併などが多く行われ、この時期は大きな節目となる)。また、卒業式や入学・入社式、あるいは人事異動など、一般的には、出会いと別れの季節でもある。花見などはこれに重ねて扱われる。
春にとれるものは旬を参照。
冬の寒さが和らぐことによって、春になると一般に生物の活動が活発になる。また、豪雪地帯での雪解け水は貴重な水資源であり、日本においては田植えと密接な関連がある。その一方で地域によっては雪崩や融雪洪水をもたらす場合もある。この他、発達した低気圧が太平洋側を通り且つ気温が低い(地上の気温が0℃未満の場合、地上の気温が0℃以上であっても上空1500mで-6℃未満または上空5500mで-30℃未満の場合)と太平洋側に大雪(春の大雪)をもたらし、日本海側を通ると春一番と呼ばれる南風が吹くことでも知られている。
日本においては特に桜の開花が文化と密接な関わりをもち、桜の開花宣言が地域ごとに出され、桜前線が北上する。
サマータイムが実施される国・地域では、春の半ば頃から時計を1時間進めることとなる。
順序
言葉としては正月を新春というように、現在の感覚的には冬の事象にも使われる事がある。旧暦では一月は春となるためであろう。その関わりもあって、春という言葉には「物事の始まり、新年の始まり」の意味を持たせる場合がある。
西洋でもイタリア語の「プリマヴェーラ(Primavera)」やフランス語の「プランタン(Printemps )」「第一の」を意味する接頭語「プリ(pri-)」を使用しているように「第1の季節」と考えられる。これは農耕暦であるローマ暦において、寒い冬が終わり農耕を開始できる最初の季節として、春が年のはじめとしたことに由来する。
シンボリズム
春が到来すると、冬の寒さと長い夜による過酷で抑圧された生活から解放されることから、春の語は「雪どけ」などと同様に「抑圧からの解放、自由の空気の到来」の比喩として使用される(諸国民の春、プラハの春、アラブの春)。
また、春から初夏にかけてを木の芽時とも言い、性的活動が盛んになるものとされている。「暖かくなるとおかしな行動をとる人が増える」とも言われ、そのような行動をとるものは俗に「春な人」「頭が春な人」と呼ばれることがある。不思議の国のアリスには、「三月ウサギ」が頭のおかしいものとして登場する。
他にも春(しゅん)と言った場合には、性的なことを示す場合が多く、たとえば春画・売買春・思春期などの語がある。
枕詞
枕詞は「あづさゆみ」。「弓を張る(はる)」にかけた。
春の行事
生物的自然
春は生物の動き始める時期である。温度が上がり、日差しが強くなり、植物の活動が始まる時期である。
農業
日本では主要作物であるイネの植え付け準備に当たる時期である。初冬から水田ではレンゲが緑肥として栽培され(現在ではほとんど見ない)、田起こし、苗代作りなどが続く。田植えは初夏の行事であるが、早いところでは本州でも四月に始まる。
梅や桃の開花も春である。他に、菜の花も代表的な春の畑の風景である。
植物
多くの植物はこの時期から葉を伸ばし、栄養を蓄えてから繁殖を始める。花の時期は植物によって様々ではあるが、特に春はほとんど花のない冬の後であることもあり花の季節との印象がある。特に、この季節にだけ発生する植物・昆虫類を総称してスプリング・エフェメラルと呼ぶことがある。
日本では梅・桜・桃が春の花の代表であり、それぞれを対象として花見が行われる。フクジュソウの花は現在では冬と位置づけていい時期に咲くが、これも新春の花と認識されていた。
現在では園芸植物では球根系のチューリップ・ヒヤシンス・アネモネなども春の花の代表と認識されているが、これらは元来はヨーロッパのスプリング・エフェメラルであった。
なお、実際の開花時期は当然ながら地域によって異なる。特に寒冷地ではそれが遅くなる。たとえばミズバショウは「夏の思い出」に唄われるが、これは現地では春早くに当たる。また、単に遅くなるだけでなく、その期間が圧縮される。先の例では梅、桃、桜は本州南部では順に2月、3月、4月に咲くが、これらは東北地方ではほぼ同時に咲く。
他に杉などの花粉は健康被害をもたらすことがあり、花粉症として知られている。春はまた、新芽の伸び始める季節でもあり、常緑樹の場合、落葉はこの季節にも多い。
動物
このように柔らかな植物や花が多いことから、またそれを食べる昆虫などの活動も盛んであることから、多くの鳥もこの季節に繁殖を行う。それに伴って鳥がさえずるので、野外はにぎやかになる。ツバメなど、南方から渡ってくる鳥もある。ほ乳類の育児もこの時期に行われる例が多い。
なお、猛禽類や大型肉食獣の場合、冬から育児が始まる例があり、これは子供がやや大きくなって食欲が増した時期が小型動物の育児や繁殖の時期にぶつかるよう適応したと考えられる。
春を題材にした作品
文学
和歌など
音楽
日本の古典
- 『春鶯囀』雅楽(唐楽)
- 『春庭楽』 雅楽(唐楽)
- 『春過(はるすぎ)』 雅楽(朗詠)
- 市川検校 『春風』 長歌物地歌曲
- 松浦検校 『里の春』手事物地歌、箏曲
- 松浦検校 『嵯峨の春』 手事物地歌、箏曲
- 菊岡検校 『長等の春』 手事物地歌曲
- 菊山検校『春の曙』 手事物地歌、箏曲
- 幾山検校 『春の契』 手事物地歌、箏曲
- 幾山検校 『磯の春』 手事物地歌、箏曲
- 吉沢検校 『春の曲』(箏曲。古今組の一曲)
- 古川龍斎 『春重ね』 手事物地歌、箏曲
- 富崎春昇 『春の江ノ島』 箏曲
- 宮城道雄『春の海』箏、尺八二重奏曲
- 宮城道雄 『春の夜』箏曲
- 宮城道雄 『春の訪れ』 箏、尺八二重奏曲
- 久本玄智 『春興』 箏二重奏曲
- 久本玄智 『春の恵』 箏、尺八二重奏曲
- 久本玄智 『春の初花』 箏曲
- 『春雨』 端唄
- 『梅にも春』 端唄
- 杵屋正邦 『春興』 三弦二重奏曲
- 長沢勝俊『萌春』 箏、三弦二重奏曲
クラシック音楽
- ヴィヴァルディ:協奏曲集『四季』 - 「春」
- モーツァルト:歌曲『春』『春への憧れ』
- ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番 『春』
- シューマン:交響曲第1番 『春』
- ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ『春の声』
- ドビュッシー:交響組曲 『春』
- ストラヴィンスキー:バレエ音楽『春の祭典』
- グリーグ:『春に寄す』(ピアノ曲集「抒情小曲集」第3集 作品43の第6曲)
- ベンジャミン・ブリテン:『春の交響曲』(作品44)
- ピアソラ:『ブエノスアイレスの四季』 - 「ブエノスアイレスの春」
童謡
他に、直接には春に言及しないが、サクラ、チューリップ、チョウ(蝶)などにかかわるものは春を題材にしているものが多い。
流行歌
- 有島通男 「春まだ浅く」
- 岡晴夫 「国境の春」
- 菊池章子 「春の舞妓」
- 霧島昇・二葉あき子 「春小袖」
- 楠木繁夫・菊池章子 「戦いの街に春が来る」
- 志村道夫 「春は朗らか」
- 千早淑子(松島詩子の変名) 「泪の春」
- 月村光子 「春の唄」
- 藤山一郎・二葉あき子 「春よいずこ」
- 藤山一郎・渡辺はま子 「春を呼ぶ自転車」
- 藤山一郎 「春の花束」
ポピュラー系
絵画
発車メロディ
- JR東日本
- 春(正式名称は「周辺3番」。ユニペックス製作)
- 春〜NewVer〜(サウンドファクトリー製作)
- 春一番(櫻井音楽工房製作)
- 春待ち風(櫻井音楽工房製作)
脚注
- ^ ““春”の臨時列車のお知らせ” (PDF) (プレスリリース), 東海旅客鉄道, (2018年1月19日), オリジナルの2018年8月26日時点によるアーカイブ。 2018年8月26日閲覧。
- ^ http://www.almanac.com/content/spring-equinox-2017-first-day-spring